興味を持っていただきありがとうございます。
こちらのページでは、
私の暗黒時代というか、
悪夢というか、
決して無駄ではないし不幸のどん底続きとかではなかったのですが
まぁ無自覚に時間を過ごしていたのかなという時代についての話をしていこうと思います。
はじめ(最後にも書くつもりですが)に言っておきますが、なかなかのダメダメな生き方をしてきたなと思います。
これを書いている時点では、
すべて自分の言動・思考などが作り出した過去であり、
誰かが悪いとか環境が悪い
とか思っていないのですが、
まぁその当時は世の中の仕組みというか世界の成り立ちというものについて全く理解できていなかったため、
言い訳したり、他人のせいにしたりと
全く成長できない状態でした。
それでは今までの人生について書いていこうと思います。
※不快な内容が含まれている可能性は否めないのでご注意ください。
小学生時代
高学年になるくらいから担任の先生の影響で(楽しい先生でした)、ただ大人しいだけの少年から少しずつ明るい性格寄りになっていきました。
小学5年の頃、この後の10年間くらいにはかなり大きな影響を与える出来事というか、失敗を体験しました。
テストの時間中に、トイレを我慢していて結局耐えきれずにお漏らしをしてしまいました。
この出来事は、完全に自分の思い込みによる失敗なのですが、
「テスト中はトイレに行ってはならない(カンニングの可能性から)」
という考えをなぜか真面目に守ろうとするという、「普通考えたらわかるよね?」という間違いを本気で信じたためでした。
幸い、同じクラスの優等生の男の子が、他の子たちに「このことは言わないようにしてあげよう」と言ってくれていたらしく、小学生時代はこの件については特に触れられることもなく、平和に過ごすことができました。
中学生時代
さて、
入学式の日の出来事だったように思いますが、生き方を変える決心をする出来事が起きます。
違う小学校出身の女子生徒が、こちらを指差しながら、「うわぁ、この人のことかぁ」みたいな感じで小馬鹿にしたような態度をとってきました。
中学生になったばかりでしたが、自分なりに、
「ああ、お漏らしのこと誰かが話してるわけか」
と察して、いじめられないようにするにはどうしたらいいかを考えました。
結論としては、まぁ浅はかですが
“バカにされた時に、「お前(バカにしてきた人)そんなこと言ってるけど、俺より成績悪いよね?」と言い返されて相手が文句の言えない状況を作る”
と決めました。
小学生の頃は、真面目に授業は受けてはいましたが、成績は別に普通くらいであんまりパッとしなかった状態でした。
ですが、自分を守るためですから、本気で勉強頑張りました。
中学時代は5教科とか、全教科とか含めて何度もトップ争いをする程度の成績を維持しました。
そのおかげかどうかはわかりませんが、なんとかお漏らしが原因でのいじめには遭わずにすみました。(まあ結果オーライです)
自分なりに効率が良いと思う勉強法を見つけて実践して、極力部活に力を注げるようにしていました(ソフトテニス部でした)。
しかし、3年の時に、一時期ひょんなことからいじめにあったのですが、普段勉強を教えていたクラスメートがノリノリでいじめの中心メンバーになったのには、「人間の醜さ」を痛感せずにはいられませんでした。
現代のいじめのような凄惨さはないですが、当時の自分としては腹立たしい出来事でしたね。
どうやってその状態を抜け出したかというと、「彼らは反応を楽しんでいる」と感じたので、ノーリアクション作成を決行しました。
例えばボールを後頭部に思い切りぶつけられたりしても、痛がることすらしない、みたいな感じです。
まぁいじめの内容がまだ全然ノーリアクションで対処できる内容だったからよかったです。そのうち彼らは飽きてやめました。
話は変わりますが、2年の頃だったと思いますが、両親が離婚しています。
その時まで家族の中で自分はのほほんと過ごしていたのですが、他の家族は色々悩んでいたりしていだという事実を重く受け止めて、「自分は幸せになってはいけない、周りの幸せをよく考えないと」という破綻した考えを抱いて過ごすようになります。
楽天的 → 悲観的な生き方に切り替えました。(バカですよね)
高校時代
さて、高校入学して一年のうちは、継続して勉強もしていたし、部活のソフトテニスも楽しめていました。
2年になってから、ですね。
部活の先輩が、少ないコートを占領しながら「テニスおもんねー」と毎日おっしゃっていたので、高校生活にやる気がなくなりました。
勉強もあまりしなくなり、友達がやっていたギターに興味を持って、自分も練習するようになりました。夢中で遊んでいました。
勉強に対するやる気がなさすぎて、当時センター試験を受けに行かなかったことで、親を泣かせています。
専門学校時代
親には何かしら勉強をするための学校に行ってほしいと言われ、洋楽を聞いていたので英語がわかるのはいいかもと、英語の専門学校を選びました。
クラスメートは音楽好きが多かったので、何気に音楽も楽しんでいました。
せっかくなので英会話できるようになりたいなと
1教科なので勉強頑張ってみた結果、
英検準一級というものは取れたものの特にスピーキングとヒアリングの力がからっきしだったので
英検一級取れるくらい勉強したらいけるのかな?
とか(方向性を間違っていますが)考えて、勉強を続けようと決めます。
この時期の大きな出来事としては、ビリヤードとの出会いがあります。
クラスメートに上手な友達がいて、自分はすごく下手くそでしたが面白くてハマりました。
大学時代
編入試験が英語のみで、しかも必要レベルが英検二級プラスαくらいのものだったため、入るの自体は楽でした。(楽と言っても、過去の自分が積み重ねた結果ですが)
ただ、目的が「英語力を上げるため」だったのに対し、編入生の場合、認定されている単位の数が普通に比べて少なめな状態というのもあり、英語学習に使える時間が一般教養の教科に取られる時間よりかなり少なく感じられました。
また、サークルなどを楽しもうとする時間もないしその気もなかったですし、英語の勉強もできていないのに親に学費を払ってもらうのももったいないと感じて3年生のうちに退学届を提出しました。
フリーター〜底辺
24時間営業の飲食店で深夜働きながら、寝て起きたらバイト前までビリヤードをするという生活をしていました。
大阪にいたのですが、プロの選手の方々(世界のトップで活躍される方もいました)に会える機会などもあり、ますますビリヤードに魅了され、いつか自分もそんな世界に飛び込みたいという思いを抱いたものです。
そんな中21歳の時ですが、前述の通り深夜から朝まで働いて、せいぜい2、3時間の睡眠を取り、起きたらビリヤードをバイト前までして、休みの日ももちろんビリヤード漬けという生活が自分の精神を蝕んでいました。
声を大にして言いますが、
睡眠はとても大事です。
連日の睡眠不足から感覚がおかしくなっていました。
バイト先では何でも先回りして仕事をこなしてしまい、他の人が仕事をしなくていい状態を自分で作っておきながら、いつも頼りになる人が、当たり前にいつもやることをやっていなかったという事実を裏切りとして捉えてしまったのです。
「この人たちは何もしてくれない」と勝手に思い込んで、その状況に耐えられなくてバイトを辞めました。
何やってんだろう、って感じですよね。
自分が作り出した状況を人のせいにして、今考えたら意味がわからないですが、
当時はいっぱいいっぱいでした。
その後ビリヤードのお店でも、いつもとは違う行動をとることで店や他のお客さんに迷惑をかけてしまい、店のマスターに怒られてしまいました。(数年後、大阪に立ち寄った際に謝りに行かせていただきました。マスターは個性的な方ですが、とてもいい人で、あの時も怒ってくれたことは今ではありがたかったと思っています。)
その後、次の仕事見つけないとなーとか考えながら引きこもっていたのですが、3日ほど眠れなくて、余計おかしくなりました。
早朝から大阪の街をフラフラ歩いて、途中で財布とケータイを捨ててみたり、よくわからん行動をしていました。(その時は、おかしいながらに、他人の優しさを確認しようという目的で動いていた記憶があります。)
途中で何人かの優しさを受け取りながら、最終的に警察に保護していただきました。
その後親に連絡が行って、迎えにきてくれたのですが、一睡もしてない上に寝かせようとしても寝なかったので、病院に連れて行かれました。
結局精神科の診察で、3日ほど一睡もせずおかしなことを話す状態だったので、取り押さえられて注射を刺されて意識を失いました。
さて、ここまでは健常者として生きてきました。
まあ、最後は不眠でおかしくなってしまいましたが、この後の人生に比べたら、はるかにイージーモードだったと振り返ればそう思ってしまいます。
続きが気になるという場合は、以下の記事をお読みください。